AI(人工知能)が小説を書いたら

 

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人はギャップに弱いという。
キリっとしたキャリアウーマンが見せる、ふとした優しい表情や涙。
草食系と思われている男の子の、急にりりしく力強く見える行動。
そんなものを、意外な瞬間に見せられると、うっかり恋に落ちたりする。

物語にも、このギャップが有効。
絶妙な意外感で、物語の世界に惹きつけられていく。
まったくギャップがなければ、ただのありふれたお話になってしまうし、とっぴすぎると
感情移入もできず、ついていけない。
その間を探っていくこと。
そこらへんが、小説家の力の見せ所と言えるかもしれない。


AI(人工知能)について、私はまったく知識はないけれど、技術がとても発展してきている、ということくらいは知っている。

とても運動能力の高いものもある。最近動画で出回っていて見たのだが、私は、それにとてもわくわくしているひとりだ。

 

AIには、元になる知識を教えることが必要で、その一連のデータから、独自に知識を取り出したり計算したりしてアウトプットするということだと、私は理解している。
最近では、感情表現なども繊細に表現できるらしく、そうなってくると、話し相手だけでなく、共感したりなぐさめられたり、人間どうしでしかできないと思われそうなことも、きっともう出来るのだろう。
生命体ではないものと、意志の疎通が出来ている(ように見える)のがすごい。
以前、人間の子供とそっくりのロボットが出てくる映画があったが、もうそれが現実になるのも近いのかもしれない。


そして思ったのが、AIが小説を書くこともできるのかな、ということ。

AIの技術の発展によって、10年後にはなくなる仕事、なくならない仕事、なんて話題も出てくる今日この頃。
AIが発展してもなくならない仕事、という一覧を眺めていると、デザイナーや映画監督などのクリエイティブ系、セラピストや理学療法士など身体に触れる系、助産師、保育士、教員など教育・福祉系、などが主にあげられている。

私が見たリストには、「小説家」はなかったが、「シナリオライター」は入っていた。どちらもおそらくこの中の、クリエイティブ系に入るのだろう。

でも、このクリエイティブなことというのは、AIにも可能なんじゃないだろうか。
人間が入力した知識・情報のネットワークから、自在に材料を取り出して、意外性(ギャップ)のあるおもしろい話が作れるんじゃないだろうか。
人が思いつかないような、斬新な物語を作ることが出来るのかもしれない。
入力する「もの」や「こと」を、どのような特徴があるか、その入力の仕方、表現によって、いろいろ個性も出るかもしれないな。

くだらないたとえで申し訳ないが、たとえば、「やかん」を入力するとする。
その「やかん」はお湯を沸かすためのものであると同時に、材質はステンレスだとか鉄だとか、丸みを帯びた形だとか、そんなふうに教えるのだろうか。
こんなアナログな、子どもにものを教えるのとはわけが違うと思うけど、どうしてもそんな想像をしてしまう。
そして、その特徴の中で「固い」という入力があったら、もしかして殺人事件の武器として、やかんを使ってしまうかもしれない。
そんな子(AI)が出現したら、なんだかかわいいと思う。

人間の小説家もなくならないと思うけど、「人工知能小説」なんて分野が出来たら面白い。なーんてことを想像するとわくわくしてしまう。


しかし、こんな一覧を見て、自分の仕事がなくなってしまうと不安になる人がいるらしい。
AIがやってくれる仕事が増えるということは、人間は、その時間をもっとクリエイティブなことに、自由に使えるようになるんじゃないのかな。
私には、自由で前向きな未来が広がっているように感じる。

知り合いには、スターウォーズに出てくるR2-D2のように、忠実で優秀な相棒を得て冒険したい! と言っている人がいる。
なんてわくわくする未来が待っているんだろう! 
その時には、意思疎通どころか、友情や愛情も芽生えているのかもしれない。

 

 

はやぶさ、そうまでして君は~生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話」という本がある。
はやぶさというのは、宇宙開発の一環として、小惑星からサンプルを持ち帰るという使命を負った「小惑星探査機」である。AIの一種と言ってよいのかわからないが、知的生命体としか思えないような判断や活躍に、思わず感情移入してしまう。

遠い小惑星にたどり着き、その大地のサンプルを採取し、地球に帰還する。戻ってきて大気圏に再突入するとき、はやぶさ本体は燃え尽きてしまう運命であるにもかかわらず、どうして君は、これほどまでに指令に応えてくれるのか。
いろいろなアクシデントに見舞われながらも、けなげに見えるはやぶさに対する、筆者の深い愛情を感じるのだ。
もしはやぶさが燃え尽きずに戻ってこられたら。はやぶさの視点からの物語が書かれたら。筆者に対するアンサーソングのような物語を。そんなことを想像してしまう。

宇宙開発プロジェクトの本として、事実を淡々と記述している、ガチガチの理系ものだと思ったので、まさかこういう本で涙するとは思わなかった。
もちろんこれは、泣かせようと意図された物語ではない、事実の記録なのだ。
これも素敵なギャップだ。