「自分らしさ」でドヤ顔はしますけど、ありのままで良いわけではない

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本屋さんが大好きで、立ち寄ると何時間でも居座ってしまうタイプなのです。
いろんな本と目が合って、手に取らずにはいられない、あの出会いの空間。良いですよね。
ある日、平積みになっていた文庫本に、女優の石田ゆり子さんのエッセイがありました。なんとなく手に取ってみると、新刊ではなく、2005年に発行されたもの。
なんで今平積みになってるんだろう、と不思議に思いつつも、中をパラパラしてみると、日記なのだけど、とても素敵な文章で、思わず購入。
後で気が付いたけど、彼女の新刊が出るタイミングだったからかもしれないですね。

しかし、石田ゆり子さんて、本当に素敵。
年齢を聞いて一番驚く女優さん。
笑顔が柔らかくて、透明感があって、自然体で、それでいて可愛くて。
そして、わあ、こんな素敵な文章を書く人なんだ、と本を読んでますます好きになってしまいました。
彼女の魅力は、その飾らない、自然体の、優しい雰囲気ではないでしょうか。バラエティ番組でも、ちょっと抜けたところを披露したりして、そこがまた可愛い。
私が買った本にも少し写真が出ているのだけど、一緒に暮らしている大型犬やたくさんの猫たちと戯れる様子、ごはんをほおばる様子、なんだかほんわかしていて、いつも幸せそうで、見ているだけでこちらも笑顔になってしまうような、そんな感じ。

以前の私だったら、ああ、こんな風になりたいなあ、と思っていたことでしょう。
いや、今でも思います、憧れます。
だけど、こうはなれないことも、知っている。
顔の作りも才能も、もちろん違うのだけど、それ以上に、違う人にはなれないから。

完璧主義的傾向が強くて、少しでもできないことがあると、こんなんじゃだめだ、といつも自信がなかった私。
おまけに元がおおざっぱだから、どこまでやっても完璧にできた気がしない。
気が付くと、やりすぎでしょ、というくらいやっても、やり切った感じがつかめない。

そんなふうに自分に自信がない私に対して、ある人が言いました。
自分以上に、「自分」を表現できる人はいないんだよ。その自分らしさを思い切り表現して、これが自分です、とドヤ顔するくらいでいいんだよ。
確かに、「私らしい」ということにおいて、この世界で私以上に私らしくいられる人はいません。完璧にできないという自分もまた、自分らしさのひとつです。
自分から見て良いところだけじゃなく、良くないと思うところも、自分。
でも、良いところ、良くないところと決めているのも、自分。
自分じゃない誰かになろうとすることを諦める、ということかもしれません。

ただ、こんなふうに「自分らしさ」を認める、というようなことを書いてしまうと、どうしても出てくるのが「ありのままでいい」問題です。
ありのまま、というのは、受け取り方によっても違うかもしれないけれど、どうも、そのままでいい、努力しなくていい、という匂いがします。
それでは現状維持どころか、じりじりと後退していってしまいます。

石田ゆり子さんだって、あんなに自然体に見えても、なんといっても女優さんです。
演じることが仕事の人が、ありのままの訳がありません。
そして、あまりばっちりメイクをしている印象もなく、すっぴんのように見えることも多いのですが、ご本人は「すっぴんでいることはほとんどありません」と言っています。
もちろん、元々も美しいのですが、すっぴんに見えるほどに作りこんだ美しいナチュラルメイクをしているのです。
女優さんでさえ、そのようにしているというのに、一般人である私たちが、ありのままで良いわけがありません。
自分が出来ないことをコンプレックスに思う必要はないし、それが出来ない自分が劣っているとか駄目な奴だと思う必要もない。
もちろん、克服しようという努力は必要だし、または誰かに助けを求めることも、時には必要。
だけど、出来ないこと自体を認めていなければ、それすらも出来ないのです。

ありのままというのは、湧いてきた感情をそのまま人にぶつける、ということでもありません。そのままぶつけるのでは赤ちゃんと同じ。
湧いてきた感情、例えば怒りや嫉妬や、悲しみや。そういうネガティブな感情こそ、自分でちゃんと把握して、伝える必要があるなら、伝わるように伝える、という努力。

伝わるように伝える。
受け入れられるようにパッケージして差し出す。
可愛いラッピング、可愛いメイク。
すべては自己満足ではなく、受け取ってもらう相手の方向をみてすること。
だけど、受け取ってもらう中身は私そのもの。
受け取ってくれた後にドヤ顔することにします。