私のために、人にやさしく

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私は、人に優しい。
そして、どんな時でも周りを気遣う余裕を持っている。
助けが必要な人がいれば、すぐに手助けを申し出る。
そんな人間なのです。

 

自分で言うなよ!というツッコミが入りそうですね。

いや、まあ、これは希望というか、目標のようなものなんですけど。

 

普段から自分のことをどんな人間だと思っているか、どんなイメージを持っているか。そのイメージのことをセルフイメージというのだそうですが、良いセルフイメージを保つというのは、とても大事なことなんだそうですよ。

 

なぜかというと、人は、セルフイメージの通りになっていくから、というのです。
普段から、鏡を見ながら自分のことをブスだのデブだのと思っていると、本当にそんな人になっていくから要注意。
身体や顔の中に嫌いなパーツがひとつあったとして、他の人はあなたの全体を見ているのに、自分がその嫌いな部分をずっと集中して見つめていると、その部分の存在感が自分の中で増していって、結果的には自分全体が嫌いになってしまう。
嫌いな人のことは、なかなか褒めづらいですね。

もし嫌いなパーツがあるなら、そのパーツの良い面を考えてあげると良いかもしれない。
目が一重で小さいのが嫌いなら、うーん、すっきりして切れ長の目が涼やかで素敵!とか。こじつけでもこの場合は構わない。
もしくは、他の好きなパーツを褒めまくり、嫌いなところは見ない、とか。

自分のことをバカだなあとか、こんなこともできなくて情けないとか、これが出来ない、あれも出来ない、だらしないだの、意地悪だの、そんなこと思っちゃいけません。
いつもいつも、無意識に自分に投げかける言葉は、うっかりと自分に暗示をかけ、その通りになっていく。
まるで呪いのように。
自分に呪いをかけてはいけません。

 

だから、自分のことを優しい人だと言うのです。
もちろん、他の人に言う必要はありません。
自分に向かって言うのです。心の中で思うだけでもいい。
ただし、言うだけでは駄目。本当にそう思えていなければ。
本当はうそだと思っているなら逆効果。それじゃあ自分はうそつきだということになってしまう。

 

うそにならないために、本当に人に優しくするのです。
自分でそう信じられるように。
自分を優しい人だと思って、本当に人に優しく接していれば、それはもう、本当になっていくのですから。

 

ためしに、電車で席を譲ってみてください。
もしくは、ベビーカーで大荷物のお母さんが大変そうにしていたら、何か少し手伝ってあげてみてください。
ちょっと勇気がいるかもしれないし、ちょっと照れくさいかもしれない。でも優しくない人には出来ないこと。
おまけに、ありがとうなんて言ってもらえたら、自分まで気分が良くなっているじゃないですか。
優しい人になって、おまけに感謝してもらえて、自分も良い気分。
でも、感謝されなくったっていいのです。
親切を断られることもあるかもしれない。席を譲ろうとしたら、結構ですなんて。
でも、それでも全然構わない。
だって自分が優しい人である、と信じられるようにするためだから。
申し出た時点で、その目的は達成している。
感謝してもらえるのはあくまでうれしいおまけ。
それを目的にしちゃいけない。
まあ、押しつけになっては本当に迷惑な話だから、ちゃんと相手のことを考えて、必要な手助けをするというのが前提だけど。
優しくするという行動そのものが、セルフイメージを強化していく。
ただ、自分のために、人に優しく。


人と話をする時だって。
家族や親しい人だと余計に、ついつい分かってくれるだろうと甘えてしまって、言葉を省略してしまったり、優しい言葉がかけられなかったり。
それで誤解があったり、わかってくれないと不満に思ったり。
いつだったか、人に言われたことがあります。
自分が知っていること、思っていることを、他の人も当然わかっていると思うのは間違いだ、と。
丁寧に言葉や態度で示していくことは、相手と良い関係でいるためにも、自分の思いをわかってもらえて良い気分でいるためにも有効。


文章を書くときにも、人に優しく。
分かりやすいように、工夫して書く。
ただ、文章の場合は、目の前の人だけではないから、どんな人に読んでもらいたいのか、想像力も必要になる。その人が分かりやすいように、読みやすいように。最後まで読んでもらえるように。

結果的に、そうしたことで、自分の考えを伝えることが出来て、もしかしたら共感してもらえるかもしれない。
分かりやすく、ていねいで、優しい文章を心がけることは、結果的に自分のためになっている!


結局は、相手のことを考えて行動するというのは、別に、道徳の話ではない。
昔から、情けは人の為ならず、なんていうように。

そう、私は私のために、人にやさしくする。
自分が本当にやさしい人になるために。