どきどきさせて。

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「あの、昨日の夜、ここでご飯食べてなかった?」
オープンカフェの前で立ち止まって電話をしていた私は、電話を切った瞬間に話しかけられた。
どうやら、そこで客引きをしている、バイクタクシーの運転手のようだった。
私は友人たちと一緒にバリ島に滞在していて、途中で皆とわかれ、一人でウブドという村に来ていた。
芸術の村といわれるウブドは、毎晩いろんな所でバリニーズダンスの公演が行われていて、それを目当てに私は立ち寄ったのだった。
観光客も多く、道ばたで客引きをしているバイクタクシーがたくさんいる。運転手と二人乗りになるのだが、ちょっとした距離ならとても便利なのだ。

確かに私は前日の夜、そのカフェで一人で夜ごはんを食べていた。
あまりおいしくなくて、しかも閉店間際だったからか、店員の態度も悪く、ちょっと立腹気味でビールをぐいぐい飲んでいたのだ。
そんなところを見られていた、ということに私は恥ずかしくなって、やだ、見てたの? と思わず返してしまい、会話が始まった。
とても素朴で控えめな、感じの良い男の子だった。
これから公演を見に行くことを話すと、席はどのあたりがいいよとか、蚊が多いから気を付けてとか、ひとしきり親切なアドバイスをしてくれた後、公演の後でホタルを見に行かないか、と誘ってきた。もちろんガイド料なんて請求しないから、とおどけて笑う。
ホタル、良いね。
東京ではほとんど見ることが出来ないホタル。
ここではまだ見られるんだね、とうっかり承諾してしまう。
良かった、素晴らしいところを案内したいんだ、と彼は微笑んで、公演会場までバイクに乗せて行ってくれた。
タクシーを仕事にしているというのに、ちょっと仲良くなると、お金なんて取らずに乗せて行ってあげるよ、というのは彼に限ったことではなく、親切で人懐こい人が、ここは多いのだ。

そして私はひとりで公演を見たあと、外で待っていた彼と合流し、バイクに二人乗りをしてホタルを見に行った。
バイクを止めて、川沿いまで歩いて降りていく。
もちろん真っ暗だ。
足元は見えないし、サンダル履きの私はすごく滑って怖い。
彼は私の手を取り、自然にエスコートしてくれる。

川沿いに降りて見ると、確かにホタルはいた。わあ、と声をあげて喜んで見ていると、今度はもっとたくさんいる田んぼの方へ行ってみようという。
田んぼのあぜ道はでこぼこ道で狭いから、バイクの二人乗りではしっかりと抱き着いていなければならない。夜の田んぼの真ん中だから、もちろん人はいない。
さっき会ったばかりの男の子だというのに、気が付けば、真っ暗なところでふたりきりで、背中にしがみついていたのだ。
今思えば、我ながらなんて警戒心のかけらもないのか。
だけど、何度も言うようだけど、本当に素朴でおとなしい感じの、優しい子だったのだ。
そして、この島がどんなに素晴らしいか、ということを真剣に語っている。
素晴らしいところをもっと知って欲しい、そして喜んでもらえたら自分も幸せだ、と言って。
誠実ささえ感じさせる人だった。
だけど、ホタルが飛び交う夜の真ん中にふたりきりでいるわけだから、なんとなくロマンチックな雰囲気になっていく。だんだんと口説きモードに入っていく彼。
こんなところでこんな人に出会えるなんて。運命のように感じる、とかなんとか。
お互いにネイティブではない英語で話しているから、余計に歯の浮くようなロマンチックな言葉もするりと耳に入ってしまうのかもしれない。

正直言って、これだけ「素朴」と連呼するということは、全く好みのタイプではないということだ。
それなのに、なんだか良い雰囲気になってしまって、抗いがたい。
いやいやいやいや、そんなつもり全くないし。と振り切って、なだめすかして、戻ってもらう。

無事自分の泊っている部屋に戻って、ほっと一息。
改めて思い出してみる。
全然好みでもなんでもない人に、ちょっと抗いがたい気持ちになったのはなぜ? 

そして思い当たる。
吊り橋効果。
聞いたことあるだろうか? 
吊り橋を渡るなどの、ちょっと怖い、どきどきするような経験をすると、怖くてどきどきしたのに、一緒にいる人にときめいたと勘違いをしてしまう、ということがあるらしい。
今日はまさにそれを体験していたのだ。
川沿いの暗い道、滑りそうになってどきどきした私は、きっと勘違いしてしまったのだ。
そしてバイクの二人乗りで密着するという既成事実まで出来てしまって、なんだかもう断れない、みたいな気持ちになっていたのだ。
そこまで気が付いて、あれ、あんなに素朴で誠実そうに見えたけど、実はこれが彼のナンパの常とう手段だったのかしら、と思う。

いや、その前に、知らない男の人にひとりでついていっちゃいけません。
いくら治安が良くても、いい人そうでも、バイクの二人乗りはいけません。
とはいっても、バイクタクシーでは普通だからなあ、この村では。

でも、ホタルを見るという、ロマンチックなデートだったのには違いない。
吊り橋効果も、ロマンチックな言葉も、貴重な体験。
彼がこの島が大好きで、良いところを知ってほしかったという気持ちは本当だったと思うし、私にとっても、見せてもらった景色は忘れられないものになった。
私はバリ島の自然と芸術と、人が大好きなのだ。
単なるナンパではなく、良い思い出ということにしておこうと思う。
しかし、ほとんどずっと暗がりにいたため、顔を覚えていない。